FAQ
清涼飲料水のQ&A
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全国清涼飲料協同組合連合会と全国清涼飲料工業組合連合会が、いわゆる分野調整法の理念と趣旨に則り、長い歴史の中で中小企業が開発・育成してきた「中小企業の特有の品種」として宣言した5品種(※)、そして1982年(昭和57年)に「焼酎割り用飲料」を加えた6品種が、中小企業分野宣言の製品となります。
1977年(昭和52年)以来、大手企業と中小企業との“すみわけ”を図る、慣習的なルールとして業界に理解と協力を要請しています。
※「ラムネ」、「シャンパン風密栓炭酸飲料(シャンメリー)」、「びん詰コーヒー飲料」、「びん詰クリームソーダ」、「ポリエチレン詰清涼飲料」。
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「ラムネ」は、全国清涼飲料協同組合連合会と全国清涼飲料工業組合連合会が、「中小企業の特有の品種」として宣言した「中小企業分野宣言製品」6品種のうちのひとつです。
1977年(昭和52年)以来、大手企業と中小企業との“すみわけ”を図る、慣習的なルールとして業界に理解と協力を要請しています。
●ペットボトル飲料はいつごろ発売?
それは1982年2月です。食品衛生法に基づく容器包装の規格基準の改正によって、ペットボトルを使った炭酸飲料、果実飲料の製造が始まりました。一方、概ね1ℓ未満の小型サイズについては、散乱ゴミに対する懸念から業界では使用を自粛していましたが、リサイクルの取り組みが本格化した1996年、消費者ニーズに応えて500mlサイズのペットボトルを導入することになりました。
●ポリエチレン容器の始まりは?
ポリエチレン原料が輸入されたのは1951年(昭和26年)で、ポリエチレン容器詰清涼飲料が業界に登場したのは1955年(昭和30年)ごろです。
1957年(昭和32年)、食品衛生法上の例外承認容器として認められると、1959年(昭和34年)12月の改正により、食品衛生法上の容器として承認。その容器の形態などが厚生省通達によって定められ、現在に至っています。
当初は90ml以上の三角袋でしたが、1958年(昭和33年)ごろからビン型、長方形型、タル型等の成形容器もつくられるようになり、今日では成形品が主体をなすようになりました。
●日本でコーラ飲料が誕生したのはいつ?
日本にコーラ飲料が輸入されたのは、比較的早かったといわれています。実際、詩人・高村光太郎が1914年(大正3年)に発表した詩集「道程」にて、「コカコオラ」という言葉を使っています。また、作家・芥川龍之介は1925年(大正14年)、知人へ宛てた手紙で「コカコラ」とコーラ飲料のことを書いています。しかし、当時は「珍しい舶来の飲料」というだけで、大衆化には至らなかったようです。
日本にコーラ飲料が定着したのは戦後であり、米軍の駐留とともに軍納品として国内に入ってきたことが大きな理由です。
本格的に日本で生産が行われるようになったのは、1956年(昭和31年)11月。在留外国人、観光外国人を対象に販売個所を決めるなどの条件つきで、コカ・コーラとペプシコーラが製造・販売できるようになりました。その後、1960年(昭和35年)10月にはコーラ飲料用調合香料が、自動割当になるとともに一般でも市販されるようになり、さらに翌年10月には自動承認制に移行し、現在の発展につながることになりました。
●コーヒー飲料の始まりは?
コーヒー飲料は1920年(大正9年)、神奈川県の守山乳業がつくったミルクコーヒーが始まりです。牛乳にコーヒーの味をつけ、菊型のビンに入れ製造販売したもので、翌年には横浜駅構内で販売が開始。これを機に、各地の中小企業によるミルクコーヒーの製造販売がスタートしました。
1935年(昭和10年)ごろ、ボイラーの一般化で殺菌効果が上がり製造業者が急増。その後レトルトビンが開発され、中小清涼飲料業者でレトルト殺菌によるビン詰めコーヒー飲料の生産が増加していきました。
缶入りコーヒー飲料が市場に広まったのは、1969年(昭和44年)。UCC上島珈琲が発売し、翌年の大阪万国博覧会で大人気を得たのがきっかけです。
●スポーツドリンクは、どのように生まれたのか?
米国フロリダ州において、アメリカンフットボール選手の飲料として開発されたのが始まりです。スポーツドリンクは、スポーツをしたときに汗として失われた水分とナトリウムイオン、カリウムイオンなどの電解質をスムーズに補給するために、こうしたミネラル類を加えた体液の浸透圧と等しい(アイソトニック)状態に調節した飲料水です。
1968年、米国でスポーツ選手を対象とした飲料水がつくられ、普及していきました。日本では1976年(昭和51年)ごろに、米国から粉末タイプの「ゲータレード」が輸入販売され、1980年(昭和55年)には液体タイプの飲料として大塚製薬から、「ポカリスエット」が発売されたのが始まりです。
●紅茶飲料が販売されたのはいつ?
紅茶はもともと中国の原産。現在ではインドやスリランカ、ケニアなど東南アジアや北アフリカを中心に生産されています。
日本に紅茶が輸入されたのは1906年(明治39年)。一般家庭に飲物として広まったのは戦後です。そのときもリーフティーやティーパック、インスタント・ティーとしての飲用がほとんどで、1973年(昭和48年)にポッカコーポレーション(現・ポッカサッポロフード&ビバレッジ)が缶入り紅茶飲料を販売した後も、レモンティーやミルクティーが中心の市場でした。その後の1987年(昭和62年)、キリンビール(現・キリンビバレッジ)から「午後の紅茶」ストレートティーが発売されました。
●ウーロン茶飲料はいつ発売されたのか?
ウーロン茶は、中国が原産で発祥地は福建省北部の武夷山といわれ、次いで広東省などでも生産されています。
ウーロン茶に代表される「半発酵茶」の第1次ブームは、1978年(昭和53年)が始まり。当時は痩身、便秘止めなど効用についての訴求が、マスコミを通じて広く流れたことも手伝い、リーフティーを主体に爆発的に増加しましたが粗悪品の流通も多く、すぐに下火となってしまいました。
ウーロン茶の第2次ブームは1981年(昭和56年)2月、伊藤園が缶入りウーロン茶を発売したことがきっかけです。同年12月にはサントリーからも缶入り烏龍茶飲料が発売され、洋酒のウーロン割りの需要開発などで一気に消費が増えました。
●緑茶飲料が飲まれるようになったのはいつ?
遣唐使たちによって伝えられたという日本の緑茶。「日本茶」とも呼ばれ、国民生活に不可欠な飲料として定着しており、緑茶を代表する普通煎茶は生産量の80%を占めています。
緑茶がドリンク飲料の形態に加工され、販売されるようになったのは1983年(昭和58年)。ポッカコーポレーション(現・ポッカサッポロフード&ビバレッジ)と宇治の露製茶が「ほうじ茶」を発売したことがきっかけです。さらに1985年(昭和60年)、伊藤園が缶入り緑茶を発売しました。
●ブレンド茶はどのように誕生したのか?
自然・健康志向の高まりで無糖飲料が好まれるようになる中、茶系飲料市場で日本茶本来の風味に加え、はとむぎ、大麦、大豆、玄米、どくだみ、ウーロン茶、ハブ茶、プーアール茶、月見草、シイタケ、ミカンの皮、ヨモギ、アマチャヅルなど、何種類もの原料がバランスよくブレンドされたブレンド茶飲料という新しい分野が確立されました。
1993年(平成5年)3月にアサヒビール(現・アサヒ飲料)から、業界で初めて16種類の原料をブレンドした「アサヒ十六茶 缶340g」が発売されたのが始まりです。